本格的にクライミング・トレッキングを打ち込むようになったのは、
15歳の頃で高校生1年生の頃でした。
フィールドは、兵庫県六甲山主に芦屋ロックガーデン周辺の山道を
グルグル走ってトレーニングを行い、そしてクライミングジムへっといったライフスタイルを送っていた。
この頃・・・・
自分自身には、中学の時から本当に『特技』がなく球技もダメ。ルールもあまり覚えられない。勉強もゼンゼンできない・・・このとき自分自身になにも無かった。
その時学校の恩師(師匠)に出会ったのも、この頃でその時は入った部活が
恩師(師匠)の一言で『入れ』という言葉で部活に入った。
それは「フリークライミング部・陸上部」だった。部活に入ったころ・・・
まずは山を走った。高校の授業が終わると持久力をつけるために山道を走り主に(ロックガーデン)
を「週に3回走り~クライミングジム」といったライフスタイルを高1~高2のあいだ続けた。
クライミングムーブなどはあまり教えられることはなく、『クライミングをやっている人をみて覚えろ』
と言われたので、ジムで身体で覚え・見て覚え・ROCK&SNOWや専門の本を読んで学んだ。
山の本を隠れて授業中に読むと頭に入りやすかった~だけど、山に行くとおっちゃん・おばちゃん
が多かったことを今でも覚えている
高2の時学校のHPを見ていると「ヒマラヤに行かないか!」という文章が
恩師の紹介文に載っていた。
ボク自身はなんせビックリし内心ヒマラヤはどんな所かが知りたかった。
そして、自分自身でヒマラヤ山脈「ゴーキョピーク5360m」を目指すプロジェクトを企画した。企画書の書き方・様々な問題対処を恩師に教わり、本当に苦労と苦難の連続だったトレーニング(トレッキング・クライミング)+プロジェクト会議が高2の春ぐらいからスタートした。
「ヒマラヤプロジェクト2000」概要は、『ネパールの国の環境を知る』そして、『ゴーキョピーク登頂』を目的に行った。1ヶ月の遠征の中でホームスティ・ネパール王国の王との対談を行った。
この頃・・・自分自身、本当にプロジェクトが成功するかの不安感、何回も企画書を作り直す作業や
トレーニングに打ち込むことで、『夢の実現』を一歩を踏みしめながらプロジェクトを成功させた。
この時・・・自然を楽しむ事様々な人と交流をもつことを学び、
自分自身が社会に『アウトドア』の楽しさを提供・伝えるには?という分野を考えだしたのも、
この頃からでした。
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